紅葉のうれい

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紅葉の季節になると桜を思い出し、桜の季節になると紅葉を思い出し、その度に物悲しい気持ちになるということを繰り返していた。

どちらもわずかの間にしか存在しない、特別美しく儚いものだからだ。


花や葉が散る様子に、自分の身に起きた辛かったこととか悲しかったことを重ねて見ていたんだと思う。また、幸せだった時は、失うことが怖かったのかもしれない。



でも、それは辛いことではなく、未来のために、最も大事な部分だけを残すという大事な節目なんだと思えるようになった。そのことによって、より力強く美しく咲く時をまた迎えられるんだと。


本当に自分に大事なものを残して未来に向かえば、芽吹く時は来る。だから、何があってもじっと力を蓄えながら、大事なものを守っていればいい。


これからが少し楽しみになってきた。

花を売らない花売り

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ブログが書けなくなって1年が経った。最後に書いたのは、震災で不安と深い悲しみを抱えていた自分が、ただ花に触れただけで心が救われたのがきっかけで、似たような気持ちで暮らしていたであろう東京の人たちに少しでも多くの笑顔を取り戻してもらえたらと代々木公園で花を配った記事だ。

この活動は、いろいろな人たちの協力を得て、当初の予定よりも大きな規模で実現した。花が本当に瞬時にたくさんの笑顔を作っていく様子を目の当たりにし、自分にとってすごく大切な経験になった。だから、新しい記事を試しに書いてみても、この記事を超えることがどうしてもできない。私はきっとあの時のことが忘れたくなくて、いつ開いてもその記事がトップに出たままにしておきたかったんだと思う。


こうして、ブログの更新は1年余り止まったままになってしまった。

もしかしたら、ブログを書くこと、インターネットに触れることが、私にとって花と同じくらい大切なものになったのかもしれない。


3年前、一生懸命作った大事なアトリエ兼店舗を手放した。実現したいイメージをはるかに上回るかたちで生まれた念願の場所だったから、自分の一部を失ったようで辛くて辛くて仕方なかった。初期に投じた店舗への投資も十分回収できないまま閉店し、お金もたくさん失うことになる。自分が人生をかけて取り組んできたことが、あっという間に全部なくなって跡形もなく消えてしまった。

居場所を失った花売りは、自宅に引きこもってFacebookやブログを活用しながら、WEBで作品の花を公開したりして、活動や近況を知らせるようになった。お金がなかったし人に会う余裕もなかったから、それが私のできる精一杯。だけど、自分の投稿や写真に思いの外たくさんのLikeやコメントをもらう経験に、失いかけていた希望の光が戻ってきた。こんな簡単に伝えたいことが伝わるサービスがあるんだ!と心の芯から感動した。


花とインターネットは、一見すると全く関係ないようにみえるかもしれない。だけど、私が花を通じて実現したいと思っている「人と人や人と空間などを繋ぐことで、日常の生活の中にお金で買えない本質的な豊かさを創り出していく」という目標は、インターネットの在り方とすごく似ているような気がしてならない。

そもそも花というのは、はるか昔からいろんな人々をつなぐ、いわばインターネットの前身のようなものとして使われてきたのではなかろうか。手紙を送る代わりに、言葉にできない気持ちを花に託して贈っていたのだから。

March winds and April showers bring forth May flower

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「3月の風、4月の雨が5月の花ざかりをもたらす」

生まれて初めて暗唱して覚えた英語の詩です。


どの植物も、基本的には花が咲くのは1年に一度きり。

美しく咲いて、あっという間に散る。

そして、また来年咲くまでの準備に入る。

だから、その精一杯咲く姿に人は感動したり勇気をもらうんだろうな。