Merry Christmas

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南青山に店舗を出した翌年2007年の冬、憧れのブランド「DONNA KARAN」のクリスマスからお正月にかけてのウィンドウデコレーションを初めて担当させてもらった。

起業してから、ハイブランドのウィンドウを手がけることは一つの目標であったけど、基本的に一流のフローリストが担当していることが多く、狭き門だったので周りからも難しいと言われていた。


やりたい仕事が思うように取れず、同時に売上も伸び悩んでいたある日、友達がお世話になっている方の主催する小規模な鍋パーティーに一緒に誘ってくれた。その時、当時DONNA KARANのNY本社でビジュアルを担当していたBryonと出会った。彼はたまたま来日中で、日本の店舗のウィンドウを作るのに、連携の取れるフローリストを探していて、市場を見に行きたいと言っていた。

私は、すぐ市場に彼をアテンドする機会を提案して、彼に自分の作ったポートフォリオを見せながらアジアで一番大きな市場を案内し、それから、自分の店舗に日本の担当の方と一緒に来てもらってどうしてもやりたいという気持ちを伝えた。友達やその鍋パーティーを主催していた方(今ではこの方にも大変お世話になっている)のサポートもあって、そこからあっという間にその年のウィンドウを担当させてもらえることが決まった。


DONNA KARANのDONNAは、植物や花をとても愛していて、彼女に大きな影響を与えているものの一つであるということを聞いた。だから、店舗にはできるだけフレッシュなものを自然の姿に近いかたちでふんだんに使って豊かな空間を作ってお客様を迎えているのだそうだ。


帰国したBryonからプランを受け取って、素材探しからはじまって、サイズ感やボリュームの確認、日本で手に入らないアイテムの代替品を取り寄せ、使う素材を撮影し、モックアップを作って、丁寧に実際作るもののイメージを擦り合せていった。その一つ一つの行程は、本当に丁寧に、かつNYで展開するものと遜色ないように正確に進められた。


制作はまず、膨大な枝類を使って、編むようにガーランドを作っていくことからはじまった。絶対落ちたりしないよう細心の注意を払いながら枝と枝を繋いでいく。できた土台に今度は飾り的に使う別の素材を編み込んでいく。これだけで相当な時間と人手がかかった。

それから着色である。実際やってみるとなかなか色がきれいに行き渡らず、相当な量のスプレーを使用することになったので、マスクをしてても泥棒のひげのように皮膚が着色されるほどだった。さらに、そこにスプレーのりをふりかけ、数種のラメを丁寧に振っていきそれで完了。完成品はパーツごとに丁寧に梱包し、施工日に備えた。

当日は、閉店後施工会社さんが天井にガーランドを固定したものに、パーツを組み合わせていった。深夜まで作業は続き、表参道の旗艦店の作業は無事完了した。それが上の画像である。翌週には一人で梅田阪急まで行って、施工会社さんと一緒に期間限定の特別ウィンドウを完了させた。


プロジェクトが完了し、私はそれまでの仕事人生で最も大きな達成感と幸福感を味わった。同時に、これほどの規模で一流の基準に従って仕事をさせてもらったことで、多くの学びを得て、自分のものづくりに対する考え方もこの経験がきっかけで大きく変わっていったように思う。


だから、毎年クリスマスになるとこのウィンドウのことを思い出す。

神様が私にくれたクリスマスプレゼントだったんだと思う。

これから私は違う夢を見るかも

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私は2005年7月27日、27歳の時に資本金10万円で会社を設立し、花の画像を載せただけの簡易なホームページと共に自宅で創業した。初月の花の売上は7万4千円だったと思う。期待に胸を膨らませてスタートを切るや否や、ものを売るのは簡単ではないという現実を嫌というほど思い知ることになった。

それでも、幸い取材はたくさんしていただいていたし、毎月着実に伸びていた売上に自信をつけて、翌年には借入と増資をして店舗兼アトリエを作った。上の画像が、南青山の根津美術館の近く、脇道を入ったところに見つけた一軒家の1階に、2006年11月22日にOPENさせた「RE rose」と名付けた、その店舗兼アトリエである。


店舗は、清潔感があってくつろげるような、ギャラリーのような場所にしたいと真っ白の内装にした。濡れた床を気にしたり極度に寒い花のための店舗ではなく、ゆったりと名前の通り様々な「バラ」の魅力を心から楽しんでもらいながら、お茶を飲んだりして人の集える空間を目指した。

主役の「バラ」は、床に置かず、壁に入れて花の表情を立ったまま楽しんでもらいたいと、そのためだけに専用の什器を作ったし、壁にはピクチャーレールを付けて、絵画のように作品を掛けられるようにもした。また、窓を向く方向にはソファを配置し、座ったまま作品を眺められるようにした。

切花、プリザーブドフラワー、アートフラワーと様々なフラワーベースといった、空間を飾るものだけでなく、バラのフレグランスやバスグッツ、キャンドルなど、普段の生活を豊かにしてくれるものを厳選して販売もした。

様々な「バラ」と出会える、念願の「人と花と空間をつなぐ」場所が誕生した。


RE rose の店舗写真

当時書いたショップのコンセプト


今でもOPENした時のあの気持ちは忘れられない。それまでお祝いのお手伝いをするために、花をデザインする立場で、それがどれくらい嬉しいものか本当の意味で体感したことはなかったのだが、実際自分がお祝いの気持ちをたくさん一度に受け取ってみて、本当に幸せだった。同時に、心のこもった贈り物や気持ちは、本当により人にダイレクトに伝わるのだと知ってとても嬉しかった。

また、私の新たな挑戦を、たくさんの方が期待してくださったことに、大きな力をもらったと思う。不便な場所ながら、たくさんの方がお店に足を運んでくれ、人を紹介してくださったり何かオーダーしたり購入してくださったりと、毎回何かある度に感謝や小さな幸せを噛み締める3年だった。


一方で、初めて採用をかけてはじめた店舗経営は本当に難しいものだった。大事な場所を守ろうと頑張ったが、結局継続を断念せざるを得なくなった。そこらへんは、以前のエントリーにも書いた通りだ。


いつかまたこういう場所を作りたいと思っている。まだやりたいことがたくさんあったし、今はできそうなことがもっと大きくなっている。マネジメントも、次はもう少しうまくできると思う。でも、まだ私にはもう少し学ぶべきことがあるようだ。それまで、やるべきことをやって、しっかり力と自信をつけようと思う。

未来は常に開けている。

花を纏う

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数年前から「花を纏うこと」をテーマにした写真作品を作っている。

一番最初の作品は、フォトグラファーのKitayama Mihokoに、初めての開催となった「Living Matter」と名付けた展示会のメイン作品として、文字通り植物で編んだ胸当てと腰巻きを身に纏って写真を撮ってもらった。

そして、それとは別に洋服のスタイリングブックのような感覚で花を纏うことをカジュアルに提案したいと考えて、どこにでも生えているような草花で作った飾らないブーケをワンピースに合わせて、外で花と遭遇した時の幸せな瞬間みたいなものを切り取るように作品にした。

Living Matter

道ばたで見かけた花を摘んでしまうとか、束ねた花を眺めて思わず微笑んでしまうとか、それを手にして浮かれて歩いたり、それをプレゼントしたり…花は、人が思わず幸せな気持ちでとってしまう行動を引き起こす力を持っている。


昨年は古着の着物を使って、様々なスタイリングと花づかいの提案に挑戦した。大きく分けて、ちょっとした普段着的なものと花魁的な着物のスタイリングの2種類。

普段着的なものは、花をアクセサリーとして使った。帯に芍薬の莟を帯飾りとして挿したり、麦わら帽子に花をつけたりと、1日だけでもそうやって花を身につけることを楽しんでほしいと思ったからだ。切花は出荷された時にもう切れている。できるだけ長く楽しむのもいいけど、たまには1日めいっぱい楽しむというのもやってほしい。

花魁的なものは、テーマを着物に決めた時からどうしてもスタイリングに入れたかった。華やかで、着物の組み合わせや帯の巻き方で個性が出せる少し着崩した着こなしは、現代の女性に合っていると思う。映画の世界の衣装ではなく、パーティーやイベントで実際楽しんで着れるものだ。それぞれのスタイリングに合わせて、いろんな花をアレンジしてみた。様々な「華」を感じてもらえると嬉しい。

Flower Accessories


私の作品は、見ていいなと思ってくれた人が誰でも実際に自分でできるように、普通の場所で手に入る安価なものだけを使って制作している。そして、作品に写っているのは特別な誰かではなくて私だ。

普段の生活に気軽に楽しく花を取り込んでもらったり、花を身につけることに少しでも興味を持ってもらえたらと、できるだけその敷居を下げたいと思ってやっている。少しの工夫と知恵で、人生に+αで花を添えることに貢献できたら嬉しい。

ということで、今年も作りますのでお楽しみに。

ワレモコウ

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信州のとある峠の麓でワレモコウを見つけた。私は高山植物には疎く、行く先々で見つけた草花はほとんど知らないものばかりだったのだけど、これだけは知っていたので、嬉しくなって写真を撮ったのだ。


ワレモコウは、花き市場にも流通している。夏から秋にかけて出回り、日本の秋の草花的な雰囲気を漂わせつつも、他と全く異なる独特な存在感を持っていて、アクセント花としてモダンなアレンジなどにも使われたりしている。

なくてもいいけど、あるとがらっとその場を変えてしまう花。


ワレモコウ(吾亦紅、吾木香)は、バラ科・ワレモコウ属の植物である。一説によると、「われもこうありたい」とはかない思いをこめて名づけられたという。

自分がこの花になんとなく魅かれていた理由が分かった気がする。

紅葉のうれい

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紅葉の季節になると桜を思い出し、桜の季節になると紅葉を思い出し、その度に物悲しい気持ちになるということを繰り返していた。

どちらもわずかの間にしか存在しない、特別美しく儚いものだからだ。


花や葉が散る様子に、自分の身に起きた辛かったこととか悲しかったことを重ねて見ていたんだと思う。また、幸せだった時は、失うことが怖かったのかもしれない。



でも、それは辛いことではなく、未来のために、最も大事な部分だけを残すという大事な節目なんだと思えるようになった。そのことによって、より力強く美しく咲く時をまた迎えられるんだと。


本当に自分に大事なものを残して未来に向かえば、芽吹く時は来る。だから、何があってもじっと力を蓄えながら、大事なものを守っていればいい。


これからが少し楽しみになってきた。

ヤナギラン

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ヤナギラン。

今年の夏、初めて出会って好きになりました。


透きとおった天空の蒼と裾に広がる緑の中に、静かに、しかし、強く咲いていた。

雲を突き抜けるように真っすぐ咲くその姿に、私も恥じないように生きたい。

花を売らない花売り

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ブログが書けなくなって1年が経った。最後に書いたのは、震災で不安と深い悲しみを抱えていた自分が、ただ花に触れただけで心が救われたのがきっかけで、似たような気持ちで暮らしていたであろう東京の人たちに少しでも多くの笑顔を取り戻してもらえたらと代々木公園で花を配った記事だ。

この活動は、いろいろな人たちの協力を得て、当初の予定よりも大きな規模で実現した。花が本当に瞬時にたくさんの笑顔を作っていく様子を目の当たりにし、自分にとってすごく大切な経験になった。だから、新しい記事を試しに書いてみても、この記事を超えることがどうしてもできない。私はきっとあの時のことが忘れたくなくて、いつ開いてもその記事がトップに出たままにしておきたかったんだと思う。


こうして、ブログの更新は1年余り止まったままになってしまった。

もしかしたら、ブログを書くこと、インターネットに触れることが、私にとって花と同じくらい大切なものになったのかもしれない。


3年前、一生懸命作った大事なアトリエ兼店舗を手放した。実現したいイメージをはるかに上回るかたちで生まれた念願の場所だったから、自分の一部を失ったようで辛くて辛くて仕方なかった。初期に投じた店舗への投資も十分回収できないまま閉店し、お金もたくさん失うことになる。自分が人生をかけて取り組んできたことが、あっという間に全部なくなって跡形もなく消えてしまった。

居場所を失った花売りは、自宅に引きこもってFacebookやブログを活用しながら、WEBで作品の花を公開したりして、活動や近況を知らせるようになった。お金がなかったし人に会う余裕もなかったから、それが私のできる精一杯。だけど、自分の投稿や写真に思いの外たくさんのLikeやコメントをもらう経験に、失いかけていた希望の光が戻ってきた。こんな簡単に伝えたいことが伝わるサービスがあるんだ!と心の芯から感動した。


花とインターネットは、一見すると全く関係ないようにみえるかもしれない。だけど、私が花を通じて実現したいと思っている「人と人や人と空間などを繋ぐことで、日常の生活の中にお金で買えない本質的な豊かさを創り出していく」という目標は、インターネットの在り方とすごく似ているような気がしてならない。

そもそも花というのは、はるか昔からいろんな人々をつなぐ、いわばインターネットの前身のようなものとして使われてきたのではなかろうか。手紙を送る代わりに、言葉にできない気持ちを花に託して贈っていたのだから。